懐かしい蒸気機関車

S304蒸気機関車は産業用機関車として1939年日本製鉄輪西製鉄所の発注で2台で働いていました。もう一台はS205でこの機関車は当時働いていた鉄原の構内に現在、静態保存されています。S304はご存知の方も多いと思いますが,三笠鉄道村で現役で動いていて講習を受けると実際の運転でき...
室蘭線の御崎駅は東室蘭と室蘭駅のちょうど中間にある駅で、日本製鋼所の御崎門からの通勤する人が利用していました。この駅のメインは貨物の取り扱いで、製鉄所に石炭を運ぶ為の引き込み線も多数あり、日本製鋼所で製造した製品を貨物で運んでいました。貨物の取り扱いは1986年に廃止になっていま...
東室蘭から鷲別駅,その次が幌別駅になりますなります。室蘭は港からすぐに山が迫っている為に土地が狭く,そのため幌別の町は室蘭のベットタウンとして発展しました。また自衛隊の駐屯地もあり来馬岳山麓には広大な自衛隊の演習場があります。朝の通勤、通学の時間帯には駅のホームは大勢の乗客でいっ...
昭和48年は私が一眼レフを父親から買ってもらって本格的に鉄道写真を撮り始めた年です。今から43年前にもなると,遠い過去の事のようにこれらの写真が見えて来ます。確かに私はこの時代に生きていましたが,特にこの数年はスマートフォンの急速な普及により普通の人が世界中に瞬時に情報発信出来て...
40年前の本輪西駅から発車したタキ貨物を牽引するD51の写真です。当時の本輪西の町は高度成長期の時代で町の発展も目覚ましく、日本石油は石油製品製造、栗林商会は製品の運搬など町は活気にあふれていました。小学校の1学年のクラスも6クラスまであり大勢の子供たちが本輪西小学校に通っていま...
昭和50年は国鉄のSLにとって最後の年となり,本州からの鉄道ファンが北海道に大勢押し掛けました。当時私は高校3年生で卒業後の進路も決めずに鉄道写真に熱中していました。室蘭と岩見沢を結ぶこの列車には移動手段としても大変お世話になり乗車中の思い出も沢山あります。中でも追分駅から乗って...
昭和50年8月14日白老駅のホームの様子です。室蘭行きの普通列車がホームに滑り込んできました。北海道を旅行中の観光客もいますが,ほとんどは地元の人が移動の足として鉄道を利用していた事がわかります。白老駅は開業も名に25年と大変歴史のある駅で町の中心にある為乗車客も多かった訳で...
昭和49年の室蘭機関区の写真です。この機関区は室蘭駅から少し離れたところにあり、石炭の積出港だった当時の駅構内は引き込み線が何本も走り町の平らな土地はほとんどが国鉄の施設でした。室蘭駅は東室蘭駅から輪西駅、御崎駅,母恋駅と列車は各駅に止まり終着駅が室蘭駅になります。駅構内では貨物...
現在の駅舎が建て替えられる前の室蘭駅ホームの様子です。室蘭駅は終着駅なので列車を利用した人はこの駅で全員降りますから,列車がホームに着くと多くの人で混雑しました。旧室蘭駅は明治45年、1912年に建造された道内最古の木造建築駅舎です。全国的に珍しいこの駅舎は1999年に国の登録有...
私が小学生の頃この場所に陣屋駅がありました。写真を撮影した当時は駅が廃止になり崎守埠頭からの木材の原木や紙の原料になるチップを運んでいました。現在の崎守埠頭はチップヤードだけが残り木材を扱う貯木場は無くなり,その跡に石油コンビナートが建設されました。寝台特急北斗星の機関車もこの埠...
昭和49年の49年の本輪西駅を発車するD51が牽引するタキ列車です。日石で精製された灯油を灯油を札幌貨物ターミナルまで運んでいました。私が中学1年のとき初めて写真を撮ったのがこのタキ貨物を牽引するD51でした。駅前のこの場所は私の写真の原点でもあります。時代が変わり日石も、JX日...
昭和50年1月3日の夜の鷲別機関区です。夜の長時間露光は昼間と違って独特の写真に仕上がります。高1のとき三脚を手に入れてからSL撮影にはいつも三脚を持参していました。露光時間はその場の明るさを見ながら多少の経験で得た露光時間を参考に秒数を決めていました。機関区の中は夜でも眠る事は...
山手線のラッシュアワーを思わせるような混雑をしている40年前の東室蘭駅です。当時室蘭市の人口は16万人いましたから、朝の通勤通学の時間帯は大変な混雑でした。室蘭市は平地が少なく港に対してすぐに山が迫っているため,山の斜面に住宅だ立ち並び北海道の他の都市では小樽に次いで人口密集地で...
東室蘭を出たSLは次の駅の鷲別駅まで緩やかなカーブを走り,そこから登別の富浦駅の手前の国道36号線と交差するところまで線路は直線になります。この区間では客車を引くC57やD51は煙突から蒸気だけを出して軽やかに走り去っていきます。室蘭本線は元々は夕張などの炭坑から石炭を運ぶ為に北...
40年前の白老駅のホームの様子です。この写真を撮ってから40年も経つと撮った本人でさえ撮った時の様子を忘れています。確かに私はこの場所にいたはずですが,記憶が断片的で,写真を見ながら思い出したりもしてます。今自分の撮った写真を見て高校3年だった当時の私はなかなか考えて写真を撮って...
室蘭本線登別駅は現在もほとんど変わらずに当時の姿を残しています。半円形の特徴あるホームの屋根など、現在も変わっていません。変わってしまったのは駅周辺の景色ですね。登別駅は苫小牧方向に長いトンネルがあり、下りのSLはトンネル内で煙を出すのを押さえる為にここで加速させてトンネルに入り...
昭和50年11月4日午前11時半ころの室蘭発岩見沢行き普通列車が東室蘭駅発車しました。東室蘭駅は平成13年頃から立て替え工事が始まり室蘭市発注の自由通路も完成して昔の面影が消えてしまいました。この40年前の写真を見ていると遥か昔の写真のように思え本当に自分が撮った写真か,と思える...
鷲別機関区は貨物の車両基地として昭和22年から平成26年8月30日に廃止になるまでの間、貨物を扱う機関区として南北海道の鉄道貨物輸送をになって来ました。写真は昭和48年3月17日構内には残雪が残っています。私が高校1年の時で学校がこの機関区に近かった事もあり,授業が終わると良く立...
昭和50年11月9日白老駅から苫小牧方向に発車した発車したD5153号機です。室蘭の駅を11時3分に発車するこの列車だけD51が牽引していました。ボイラー上部がカバーで覆われていた為,ナメクジ型蒸気機関車と呼ばれていました。D51型蒸気機関車は国内で一番多く製造され,デゴイチと言...
私が 蒸気機関車 に興味を持ったのは中学1年のとき,写真好きの父親の影響を受けて当時流行のオリンパスペンと言うハーフサイズ、今でいえばAPS-Cサイズの固定焦点のカメラを買ってもらい自宅が鉄道に近かった事もあり,本輪西駅にD51のタキ列車を撮影に出掛けていました。幼い頃は母の実家...